ペンテコステ礼拝
2025年6月6日 関東学院六浦小学校 ペンテコステ礼拝
「炎のような舌」 関東学院教会牧師 本校聖書科非常勤講師 髙橋彰
1五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 2突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 3そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 4すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。(使徒言行録2章1-4節)
みなさん、おはようございます。
ペンテコステをお祝いして、共に礼拝できることを感謝します。
みなさんはこの小学校で「ことば」を勉強していますね。学校の日常で使っているのは日本語ですが、その他に英語も勉強していますね。二つ目のことば、またはこの中には三つ目とかそれ以上にいろいろなことばを聞いたり話したり学んだりしている人もいるかもしれませんね。別のことばを話すのを楽しいと思いますか?
わたしが二つ目の言葉として英語をはじめて聞いたのは、小学校2年生の時でした。わたしの家に英語を勉強する教材を販売に来た人がいたのです。テープがついた紙を機械に通すと、英語が聞こえてきました。1枚目は「an apple」と言っていました。面白い!と思いました。2枚目は「an orange」でした。テープの声の真似をして自分も言ってみました。英語を勉強してみたいと母に願って、そのおじさんが紹介する英会話教室に通うことになりました。こどもたちで英語を覚えたり、ゲームをしたり、歌を歌ったり、詩を覚えて暗唱したりしました。わたしは英語が得意になったと思っていました。
何年かたって初めて英語だけを話す外国の人と会う機会がありました。わたしはその人と話をするようにと勧められたのですが、なんと、英語でおしゃべりをすることが全然出来ませんでした。なぜでしょう・・・。恥ずかしさで緊張してしまって、早口で英語を話す人が怖いなぁと思っておしゃべりをすることができなかったのです。それともう一つは、見知らぬ外国の人に、何を話したらいいのか思いつかなかったのです。他の言葉を学んでも、それを使わなかったらもったいないです。ことばは、ただ覚えるだけでは使えません。その言葉を使って誰かと話したい、つながりたい、と思って心が動くときに、ことばも出てくるのではないでしょうか。
ペンテコステの出来事は、神さまの聖霊が天から降って、一緒にいたイエスさまの弟子たちがさまざまな他の国の言葉で話し出したという不思議な奇跡の出来事でした。「炎のような舌」と書いてあることに注目したいと思います。ただの「舌」ではなく、「炎のような」というところが大切なのです。「炎」とは何でしょうか。これは神さまの愛の炎なのです。神さまがわたしたちに対する熱い愛の思いをもっておられ、聖霊は神さまの愛が強い風のようにわたしたちに働きかけているのです。ただ舌が動くだけでなく、愛の炎の勢いがわたしたちに働くときに、他の人と出会って話をしたいという思いを心にわきあふれさせてゆくのです。
イエス・キリストの弟子たちは、信じて頼りにしていたイエスさまが十字架にかけられて死んでしまい、大きな悲しみと不安、そして裏切ってしまった後悔で心がいっぱいになりました。世の人びとを恐れて自分たちだけで部屋の中に隠れて祈る事しかできませんでした。復活したイエスさまに再会して赦され、慰めと励ましを受けました。けれどもイエスさまは再び天に昇られ、見えなくなってしまいました。祈っていた弟子たちに与えられたのが聖霊の働きでした。炎のような舌、愛の心と語るためのことばを与えられた弟子たちは、隠れるように過ごしていた部屋から出て話しはじめました。イエス・キリストは救い主です。わたしはそれをあなたのことばで、あなたに伝わるようにお話したいですと。そして、そのメッセージが世界中に、わたしたちのところにも伝わったから、今日わたしたちも神さまを礼拝しているのです。
関東学院六浦小学校で学ぶみなさん、そして学校につながる皆さんも、炎のような神さまの愛の思いを心に満たされて、愛のことばを交わし合い、ご一緒に神様を賛美して喜び合いましょう。