クリスマス礼拝
2024年12月21日、クリスマス礼拝がまもられました。
5年生演技、6年生朗読、聖歌隊および全校児童賛美によるクリスマスページェント(降誕劇)のあと、関東学院教会牧師、本校聖書科の髙橋彰先生にメッセージをいただきました。
毎年行われるページェントはおごそかに執り行われ、イエス様の静かなご誕生に思いをはせるひと時となりました。
関東学院六浦小学校クリスマス礼拝「すべての人を照らす光」関東学院教会牧師 髙橋彰
初めに、神は天地を創造された。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。
神さまはこの世界を造られた時、はじめに「光あれ」と言われました。この「はじめの光」は太陽や月の光とはちがうものです。この光は、いのちの光でした。神さまが造られるいのちが輝く光で、神さまが造られ、愛されているいのちが見えるようになる光です。そして神さまが造られた一つ一つのいのちが「良し」であること、大切であることがわかるようになる光なのです。
神さまのことを知って、神さまを信じる人は、この光が見えるようになるのです。そして神さまが造られ、愛されている一つ一つのいのちがとても貴いいのちだということがわかるのです。
ところが、人間たちは神さまの光が見えなくなってしまいました。するとどうでしょう。どんなにこの世界を太陽が照らして明るくしても、いのちの光が見えなくなりました。神さまが造られたこの世界にある草花やいきものが神さまのいのちであることがわからなくなり、自分たちの思うままに使おうとします。この世界に共に生きている人びとのいのちが大切なものだということがわからなくなります。そして他の人を傷つけたり、いじめたり、生きているのにいないもののように無視したり、見ないふりをして見捨てたりします。自分のいのちが神さまに造られて輝いていることもわかならくなってしまう人もいます。辛いことや苦しいことがたくさんあると、心が曇り、暗くなります。聖書ではそれを「闇(やみ)」と呼びます。
命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
人びとの目と心が闇に覆われてしまったこの世界を救うために、神さまは自ら光となってきてくださいました。それがイエス・キリストです。イエスさまはこの世に人間として生まれ、生きてくださいました。イエスさまは人間の命が輝いていることを見せてくださいました。わたしたちはイエスさまのことを聞いて、知ったならば、いのちが光り輝いていることが見えるようになります。ですから、いつもくりかえしイエスさまのことを学んでいるのです。
そして、イエスさまはたくさんの人びとと出会われ、その人たちのいのちが輝いていることを教えてくださいました。イエスさまがこの世で出会われた人びとのことが聖書にはたくさん出てきます。貧しい人、苦しむ人、悲しむ人、病気になった人、忘れられている人、仲間外れにされている人、暴力を受けている人、正義を心から求めている人たちなどです。
イエスさまがお生まれになった時にも「光」が出てきます。
人びとが暮らしていた町から遠く離れた荒れ野で夜通し羊の番をしていた羊飼いたちは、天からの栄光の光を見ました。その当時はローマという国が世界を治めていて、皇帝は人口調査の命令を出して、ローマの世界にどれだけの人がいるかを数えようとしました。けれども羊飼いたちは登録にも行かれませんし、人間の数にも入っていなかったでしょう。イエスさまの誕生の報せと光はそんな羊飼いたちに最初に知らされたのです。羊飼いたちは飼い葉桶の中に寝かされたイエスさまにお会いして、喜びにあふれました。
同じころ、夜空に特別に光る星を見つけたのは東方で星を調べる博士たちでした。星に導かれてユダヤの国まではるばる旅をしてやってきました。ユダヤのヘロデ王やエルサレムの人たちは外国からやってきた博士たちの話を聞いて不安になり、心に闇が広がりました。新しい王さまがうまれたならば、自分たちを邪魔すると考えたのです。ヘロデ王はベツレヘム付近にいた幼子たちをたくさん殺しました。
羊飼いたちや、博士たちは、当時の世界では、人間の数の中に入れられていなかったり、よそ者扱いをされていたりした人たちでした。その人たちに、神さまは光を照らし、イエスさまと出会わせてくださいました。そしていのちの輝きを受け、喜びにあふれさせてくださいました。
わたしたちは神さまの光を見ようとしているでしょうか。自分のいのちが神さまに造られ輝いている大切な命だということが見えなくなっている人がいるでしょうか。他の人のいのちが神さまに造られた大切な命であることが見えなくなっている人がいるでしょうか。そのような人のために、イエスさまは光となってこの世に来てくださったのです。
2024年のクリスマス、神さまはどこに光を照らしてくださっているでしょうか。イエスさまがお生まれになったベツレヘムの地域では、暗闇が覆っているようです。戦争が続き、人びとがたくさんいのちを奪われています。敵対するパレスチナの人びとのことを、人間ではなく動物だと言って攻撃するのです。けれども、どんなに強い力で敵を殺しても、本当は、人間が人間だと見えなくなってしまっている人たちの方が、命を失ってしまっており、人間らしさを失くしてしまっているのです。
イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
関東学院六浦小学校で学ぶ人たちは、いつも神さまに祈り、礼拝すること、聖書からイエスさまのことを学んでいます。そうして神さまが照らしてくださっているいのちの光を見るのです。自分のいのちが、他の人の命が、神さまの造ってくださり愛してくださっているたいせつないのちであることをしっかりと見て、信じて、大切にしていけますように。