関東学院 創立139周年記念礼拝
2023年10月5日 関東学院六浦小学校 創立記念礼拝
聖書 ルカによる福音書11章1-4節
説教 「先生の祈り」 髙橋彰
おはようございます。
今朝は、わたしたちの学校、関東学院の創立139年を記念する礼拝です。
関東学院のはじまりとされている「横浜バプテスト神学校」の最初の校長、ベンネット先生の話からはじめます。ベンネット先生は「祈りの人」だったと伝えらえています。自分のことばかりでなく、他のさまざまな人や世界のことのために、よく神さまに祈っていたそうです。先生の机の引き出しには小さなノートが入っていて、そこにたくさんの人の名前や祈るべきことが書かれていたそうです。そのノートを見ながら先生はいつも祈り続けていたそうです。祈っているとは、その人のことを覚えていて親しく思っているということです。祈られている人たちはまさかベンネット先生が自分のことを祈ってくれているなど知らなかった。
ベンネット先生は、祈りについて「戸をたたく」ようなことだと話しています。扉をトントンとたたいてもそれだけでは何の意味があるのかわかりません。けれども戸をたたくと家の中から人が出て来てくれて会うことが出来ます。祈りも、一人でそれをしている時にはいったいそれが何になるのかと思うかもしれないけれど、祈ったことは必ず神さまに届いていて、神さまが扉を開いて出会ってくださるから、信じて祈りをささげようと教えられました。ベンネット先生の祈りは神さまに聞かれていましたし、ベンネット先生に祈られていた人たちは目には見えなくても先生の祈りに支えられていたのだと思います。
ベンネット先生が祈っていた言葉をわたしたちは少し知っています。先ほど歌ったさんびか「しずけきゆうべの」の歌詞です。これはベンネット先生が作った詩です。歌詞をよく見てみるとこの詩はまさに祈りの言葉です。
しずけき夕べの しらべによせて うたわせたまえ ちちなる神よ
日かげも安ろう ころにしあれば 父にぞゆだねん 今日蒔きし種を
日ごとわがなす 愛のわざをも 人に知らさず かくしたまえや
ベンネット先生は、この歌のように神さまを信じて委ねて、神さまに奉仕する人生を送りました。
イエスさまも、いつも祈っておられる方でした。あるときイエスさまが祈っている姿を見て、弟子たちはイエスさまに尋ねました。わたしたちにも「祈り」を教えてくださいと。その時にイエスさまが教えてくださったのが、今もわたしたちに伝えられている「主の祈り」の言葉でした。
弟子たちはその祈りの中にイエスさまの願いがこめられていること、そしてイエスさまがこの祈りのとおりに生きられた姿が見えることに気づきました。
「み国を来たらせたまえ」は、「神の国は近づいた」と、人びとのところに来てくださったイエスさまの姿。
「日用の糧を今日も与えたまえ」は、お腹が空いたたくさんの人たちのために、いのちのパンを分けてくださったイエスさまの姿。
「み心が行われますように」は、わたしたちに神さまの御心が成りますようにと苦しみながらも祈られたイエスさまの姿。
「われらの罪をも赦したまえ」は、わたしたちを救うために十字架の上で「人びとを赦してあげてください」ととりなされたイエスさまの姿。
イエスさまは「主の祈り」の通りに生きた方でした。弟子たちは「主の祈り」を祈るといつも、イエスさまのことを思い出しました。そしてイエスさまと一緒にいるような気持になりました。イエスさまが歩まれた大切な道を、自分も歩んでゆくための励ましや力を受けるように思いました。そうやって弟子たちは「主の祈り」を祈りながら、イエスさまと共に、イエスさまの歩まれた道を進みました。そしてたくさんの人たちにイエスさまのことを伝えて行きました。それが今もわたしたちに伝えられています。
関東学院六浦小学校で学ぶみなさんにも「祈り」を学んで、「祈る人」になってほしいと願います。とびらをたたくように、神さまに向けて祈りましょう。神さまは必ず扉を開いてわたしたちと出会ってくださいます。イエスさまが教えてくださった祈りを一緒に祈り続けましょう。イエスさまがわたしたちを愛して一緒にいてくださることを感じられるようになるでしょう。そしてわたしたちも主の祈りを祈り続けながら、イエスさまの導かれる道を共に歩みたいと思うのです。