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2023.06.14在校生

花の日・こどもの日礼拝

2023年6月14日(水)

関東学院六浦小学校 花の日・こどもの日礼拝 メッセージ

「花のいのちは永遠」

関東学院教会 髙橋彰

おはようございます。今日は花の日・こどもの日礼拝ということで、「花」のお話をしたいと思います。

花は花でも、人間の「花」です。

 

今からちょっと昔、130年前の6月のこと、山梨県の甲府という村で、一人の女の子が生まれました。お父さんはその子に「はな」という名前をつけました。イエスさまのことを知って、熱心に神さまを信じていたお父さんは、「はな」さんも神さまの恵みを受けて育ってほしいと願い、2歳の時に教会で洗礼を授けてもらいました。女の子でもイエスさまのことや聖書のこと、英語も勉強させたいと願いました。でもお家は貧しく、「はな」さんには弟妹が7人もいました。きょうだいたちは養子になって他のお家に預けられました。教会の牧師さんや、カナダから来た女の宣教師さんたちが助けてくださって、特待生で、授業料を免除してもらうことができ、「はな」さんは10歳の時に東京の英和女学校に入学できることになりました。キリスト教の学校です。

 

金持ちの家の娘さんたちが集まる中で、「はな」さんは貧しい家の出身だからと意地悪なことを言われたりもしたそうですが、寮で暮らしながら熱心に勉強をしました。もっと嬉しかったのは図書室にある本をたくさん読むことでした。カナダ人の女性宣教師たちが教えてくださる英語を特にがんばって学び、英語の本もたくさん読みました。おもしろい物語がたくさんあったのです。そして、短歌を詠んだりもするようになりました。いつか自分でお話を書いたり、外国のお話を日本語に翻訳したりして、たくさんの子どもたちに届けたいと思うようになりました。

 

勉強を終えてからは家族を支えるために5年間山梨の英和学校で英語の先生になって教えました。こつこつと書き溜めたお話をまとめて念願の本を出版しました。「はな」さんは自分のペンネームを「花子」と書きました。それをきっかけに東京に移り、本を作る会社(出版社)で働くことになりました。運命の人と出会い、結婚をしました。男の子も生まれました。

 

幸せになったと思ったら、ちょうど100年前の9月1日、関東大地震が起きました。花子さんの夫の出版社はつぶれてなくなりました。花子さんは翻訳や編集の仕事をして、夫の分まで働きました。

さらに、悲しいことが起こります。地震から三年たった同じ9月1日、花子さんの子ども「道雄」くんが疫病にかかり、たった二晩で亡くなってしまったのです。花子さんと夫の儆三(けいぞう)さんは何か月も悲しみの中で過ごしました。

 

ある日、花子さんが聖書の言葉を読んでいたら、次の言葉が目に留まりました。

 

「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。

独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」

 

花子さんは、神さまが自分に語りかけてくれているように感じました。子どもを失くした深い悲しみの中で、花子さんはあらためて神さまの大きな愛にふれました。そして、神さまの独り子イエスさまが十字架で苦しんで死なれた時、神さまはどんなに悲しかっただろうと思いました。

花子さんは、「これからの人生は、日本中の子どもたちと、子どもを育てる人たちのために、自分ができることをしたい。」と思いました。子どもたちが楽しんで読める本をたくさん出版したい!という夢を持ちました。

 

その頃、花子さんはラジオの「こども新聞」という番組でコメンテーターを頼まれました。日本中でラジオを聴いている子どもたちに向けて、花子さんは愛をこめて語りかけました。しかし、戦争が始まると、日本中が戦争一色になりました。親しく教え導いてくれたカナダ人の宣教師の先生たちは日本を出てゆかねばならなくなり、お別れしすることになってしました。その時に、「花子」さんは一人の宣教師(ミス・ロレッタ・レナード・ショー)から一冊の英語の本を譲り受けました。

 

「いつか平和になったら、この本をあなたが、日本の子どもたちに紹介してください」と。

 

その本は、両親を亡くして孤児になった赤い髪の色をしたアンという女の子が主人公でした。男の子を希望していた家に手違いでもらわれたけれども、アンは持ち前の明るさと楽しいおしゃべりで周りの人びとを愛して元気に生きていくというお話でした。

 

戦争の時代、英語の本を持っているだけで厳しく非難されたそうです。それでも、花子さんは毎日その本を一生懸命日本語に翻訳しました。空襲があっても、焼けてしまわないように必死に原稿を守りました。

 

戦争が終わってからも子どもの本を新しく出すチャンスはなかなか訪れず、7年たってようやく、1952年に出版できることになりました。ステキな題をつけたいといろいろ考えていた花子さんに、出版社は『赤毛のアン』という題にしようと提案しました。花子さんはびっくりしましたが、家族の人たちの好反応と勧めで、そのタイトルで出すことに同意しました。『赤毛のアン』は日本中の子どもたちに大人気になりました。悲しいことや辛いことがあっても、毎日を感謝し、周りの人たちを愛して、大切に過ごすこと、そんなふうに神さまと共に生きることを、花子さんは日本中の子どもたちのために祈りながら、アンを紹介しました。その後も、子どもたちが楽しんで読める本をたくさん作り、花子さんは75歳まで生きて、天に召されました。上学年の人たちが持っている『讃美歌』7番の歌詞も、花子さんが日本語に訳したものです。

 

花のいのちは短く、今日咲いていても明日にはしおれてしまう花もあります。それでも光の方を向いて、輝いて命を生きようとしています。そして次の花の命へとつながっていきます。わたしたちは花を見ると、美しいなと思ったり、慰められたり、うれしい気持ちをもらいます。

 

人のいのちは花よりは長いですが、限りがあります。生きていたら、うれしいこともあるし、悲しいことや辛いことも起こります。それでも神様はわたしたちの命を貴く、美しく造ってくださいました。そして神さまの大きな愛と恵みを、神さまを信じる人たちがいろんな方法で伝えてくれています。花子さんもその一人です。

 

花のように、わたしたちも神さまの方を向いて光と愛を受け、夢をもち、自分のいのちを精一杯輝かせながら生きてゆけますように。

 

  

礼拝後、普段お世話になっている学校近隣の施設に5・6年生がお花を届けに行きました。

 

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