ペンテコステ礼拝
2023年5月31日 関東学院六浦小学校 ペンテコステ礼拝
「聖霊に満たされて」
髙橋彰
1五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 2突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 3そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 4すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。(使徒言行録2章1-4節)
みなさん、おはようございます。
今朝は、ペンテコステ、神の聖霊がイエスさまの弟子たちに送られたことを記念する大切な礼拝です。
「ペンテコステ」は数字の「50」という意味です。
十字架にかけられて死なれたイエスさまを、神さまは三日目に復活させてくださいました。イエスさまはしばらくの間は弟子たちの前に姿を現され、「あなたも神さまに愛されています」「あなたたちに平和を与えます」と、大切なことをお話ししてくださいましたが、40日後に、天に昇ってゆかれたのです。それ以来、イエスさまの姿は見えなくなりました。
けれども、イエスさまはこう言い残されました。
「わたしの代わりにあなたたちに聖霊を送ります。風のように、息のように目には見えないけれど、いのちを生かし、平和で満たす神さまの愛の働きです。あなたがたに聖霊が降るとき、あなたたちは力を受けます。そしてわたしのことを世界中に証しすることになるでしょう。」と。
復活の朝から50日目のことでした。集まって祈っていた弟子たちははげしい風が吹くような音を聞きました。すると炎のような舌が降ってきて、ひとりひとりの頭の上に留まりました。すると、弟子たちはさまざまな言葉を語り出し、イエスさまのことを伝えはじめたのです。これが教会のはじまりです。
降って来た「炎」のような舌は、人びとを焼き尽くすような恐ろしいものではなく、人間に対する神さまの熱い愛の思いのしるしです。「聖霊」は目には見えませんが、まるで風のように力強くわたしたちに働いています。「愛」も目には見えないけれど、わたしたちの心を燃やし、相手に働きかける力を持っています。「言葉」も目には見えませんが、わたしたちは言葉を送り合って気持ちを伝え、分かち合っています。
わたしたちは、毎日いろんなことばを覚えていきます。そして本当は誰かにいろいろと自分のことを話したいと思うのです。でも、言葉が出てこない時もあります。自信がない時、不安な時、相手が恐いとおそれている時、信じられないとか嫌いな相手がいる時、自分が話をしても聞いてもらえないと思う時、言葉を話すちからは出てきません。聖霊はそんなわたしたちの恐れや不安を打ち破って、背中を押し、話し出すことができるように助けてくれるのです。そして、神さまがわたしたちに望んでおられるのは、わたしたちが世界中の人びとと言葉を交わして心をつなぐことです。他の国の言葉を話すというのは、相手を大切にして、相手に伝わるように話すことです。それが「愛する」ということの大切なやり方です。イエスさまが愛してくださったように互いに愛し合い、世界の人たちとつながって、共に生きることです。聖霊は今もわたしたちの間に働いています。
実は、先日みなさんが運動会をおこなった日に、わたしは別の場所で小さな運動会をしました。世界のあちこちの国や地域から日本に来て暮らしている人たちを応援して、困っている人たちに協力し、追い返すのではなく一緒に生きて行けるような社会をつくってゆこうと呼びかける「難民・移民フェス」というイベントに参加したのです。世界中のさまざまな人たちが広場に集まって、それぞれの地域の食べ物や飲み物、アクセサリーを紹介したり、髪を編んだりしてくれました。わたしは以前からミャンマーの人たちの支援をしているため、このイベントでミャンマーの料理やお茶を出す奉仕をしてきました。
イベントの最後の時間に「綱引(つなひ)き大会」をしました。最初はみんな遠慮していたけれど、だんだん綱の周りに人がたくさん集まって来て、いろんな地域の人びとが混ざって、こどもも、大人も協力して綱(つな)を引っぱり合いました。向こう側にいる人たちの「いのちの重さ」をしっかりと感じました。つながって、大切にし合って、元気に声をかけ合って、一緒に生きてゆけたらいいなぁ、そんな世界になってほしいと心から思いました。
ペンテコステに降った聖霊は、今もわたしたちに働きかけています。関東学院六浦小学校で学ぶみなさんひとりひとりにも、その周りの人たちにもです。神さまの熱い思いを心に受けて、互いに言葉を交わしてつながり合い、いのちの重さを確かめ合い、愛し合ってゆけますように。