イースター礼拝
4月11日(火)、全校でイースター礼拝をまもり、イエス様のご復活をお祝いしました。
数年ぶりに保護者の皆様もお招きすることができ、恵みに満ちたひと時となりました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
2023年4月11日 関東学院六浦小学校 イースター礼拝
聖書 マタイによる福音書28章1-10節
説教 「復活 — あたらしいはじまり」 髙橋彰 関東学院教会牧師 本校聖書科教諭
おはようございます。イースターおめでとうございます。
2023年度のはじめに、全学年で一緒にイースター礼拝を行えることをとてもうれしく思います。
2023という数字は、イエス・キリストがお生まれになった年から数えた年数ですが、キリスト教では、ほんとうはイエスさまが生まれた時よりも、十字架にかかって死なれ、三日目に復活された日のほうが大事にされています。イースター、イエスさまの復活は、一年で一番喜びの日なのです。今朝はその出来事をみなさんにお話ししたいと思います。
イエスさまは十字架で痛み、苦しんで死なれ、墓にほうむられました。多くの人びとはイエスさまを裏切り、からかい、見捨てました。でも数人の女の人たちは、イエスさまのことを思いながら最後まで目を離せずに、悲しみ続けていました。わたしたちにはイエスさまを助けるために何もできなかった・・・と。だからせめて墓に入れたイエスさまの体に油を塗ってきれいにして墓にしまってあげたいと思ったのです。そしてイエスさまを思って泣こうと思っていました。ところが、その朝、彼女たちが考えていたことと全然違う、驚くような出来事が起こりました。
地震が起こり、天使たちが降りて来て、墓穴をふさいだ大きな石を転がしその上に座りました。墓を見張っていたローマの兵士たちはそれを見て、とても恐ろしくなってしまい、死んだ人のようになってしまいました。いつも武力や暴力を使って自分より弱い人を恐がらせて、威張って自分の言うことを聞かせようとする人たちは、逆に自分よりも強い力に出会って、立場がひっくりかえり、自分が頼りにしていた力が通用しないと思ったら、とたんに弱くなってしまいます。一層恐がってしまうのです。
天使の言葉を聞いた二人のマリアたちも、もちろん恐れました。そして自分たちが考えていたことは全部ひっくりかえってしまったのですから。でも、彼女たちは恐れただけでなく、おおいに喜びました。
天使たちは力で恐れさせたり、威張ったりしません。むしろ威張っていた人たちのことなど構わないで、自由に、声を掛けます。天使たちはこう言いました。イエスさまはここにはおられ「ない」、だから喜んでいいのですよと。
神さまは「ない」ということを喜びなさいと言うのです。不思議です。わたしたちはたいてい、何かが「ない」よりも「ある」ことのほうが嬉しいです。たくさんのものがある、もらえる、もっている、そういうほうがいいと思っているでしょう?でも、「ある」ものには限りがあります。そしてわたしたちは「ある」と思っているものに縛られてしまうことも多いのです。
天使たちは、「ない」ことの喜びを伝えます。今まで思っていた通りじゃ「ない」、しらない、体験していない、まだ出会っていないことを喜びます。そこに新しいいのちがあるからです。しかも、今までいろいろとあったもの、あったことの中で、つらかったり、苦しかったり悲しかったりしたことの慰めや励ましを受けたり、その意味が変えられるということも思います。神さまは、わたしたちが「ある」ものに目を引かれてしまう縛りをときはなって、「ない」ものを見ること、新しいいのちをいきることへ招いています。
天使の言うことを聞いて、踏み出した二人のマリアたちは、その道のりでイエスさまに出会えました。イエスさまの「おはよう」は「喜べ」と言う意味もあるのです。
関東学院六浦小学校で学ぶみなさんは、神さまの「ない」に注目して、見つけて喜び、新しいいのちを生きる人になってほしいと願います。今日、今年、わたしたちがまだ知らないこととの出会いを神さまが用意してくださっていることを期待して、学んでゆきましょう。