4月19日、イースター礼拝をまもりました
今年は4月17日(日)がイースターでした。
本校では19日(火)に関東学院教会牧師、本校聖書科講師の高橋彰牧師のお話しでイースター礼拝をまもりました。
感染対策で、礼拝堂には5・6年生が集い、他の学年はライブ配信で参加しました。
高橋彰牧師のメッセージはこちら。
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聖書 ヨハネによる福音書20章19-23節
メッセージ「あなたがたに平和があるように」 髙橋彰
みなさん、おはようございます。イースターおめでとうございます。
神の子イエスさまは、人びとに十字架につけられて殺されてしまったのですが、神さまはイエスさまを復活させてくださいました。苦しみも憎しみも恐れものりこえて、神さまの愛と希望が満ちあふれてきたのです。
復活されたイエスさまは、いつもそばにいたお弟子さんたちのところにあらわれました。弟子たちは鍵をかけて閉じこもっていました。イエスさまと一緒につかまって同じ目にあって殺されてしまうかもしれないと思うと、恐ろしくなって、逃げて、隠れていたのです。けれども、どこまで逃げて隠れても、鍵をかけても、心の不安がなくなることはありませんでした。
わたしたちも同じことがあるのではないでしょうか?不安なことが起こった時、苦しいことや辛いことがあった時、誰かや何かにおびえている時、自分の部屋に入って鍵を閉めたとしても、心の中にはまだ不安や心配がひろがって、恐い、悲しい、寂しい気持ちがなくならない。ちょっとの間は忘れていても、すぐまた思い出してつらい気持ちになったりします。
鍵のかかった部屋の中に、イエスさまは入ってきてくださったのだと聖書に書いてあります。不思議ですね。でも、イエスさまは部屋の真ん中に立って、「あなたがたに平和があるように」と言われました。
「平和」ってどういうことでしょう?
漢字でどう書くかというと、みんなが「平」等に、ごはん「禾」(穀物)を、「口」にすると書きますね。みんながおなか一杯に食べられるという組み合わせです。面白いですね。でもこれはとても大切なイメージです。
イエスさまが話されていた「ヘブライ語」では、平和は「シャローム」という言葉です。聞いたことがありますか?実はシャロームも、「満たされる」という意味です。おなかがいっぱいに満たされる、からだが元気でいっぱいに満たされる、そんな意味があります。
イエスさまは、弟子たちに、わたしが一緒にいるから大丈夫、あなたたちの不安も心配も安心に変わるように、わたしがあなたの心の一番真ん中にいますよ。だから、安心してください。いっぱいに満たされてください。そんな風に言ってくださいました。
満たされると言っても、簡単に「平和」にはならないよ、と思うかもしれません。復活されて部屋に入ってこられたイエスさまは、完全な健康!というには遠い、手とわき腹に穴が開いた、傷があるままの姿でした。傷は簡単に消えてなかったことにはなっていません。忘れてしまってもいません。弱弱しい姿に見えたかもしれません。それでも、イエスさまはその傷を隠したりなくしたりしないで、わたしの平和をあなたたちに与えようと言って現れてくれました。
弱いところや傷ついたところがなくなって完全な状態、完璧な人間になったら、恐いこともつらいこともなくなる、というのではありません。弱さや傷があっても、それが弱点にならない、隠したり恐れたりしなくていいですよ、イエスさまはそんなふうに、傷ついた姿のまま現れました。
イエスさまは、不安な人にも、信じられない人にも、心に鍵をかけている人にも、入ってきてくださって「平和」を満たしてくださろうとしています。わたしたちにもです。関東学院六浦小学校に入って、イエスさまのことを聞いた人たちは、どうか、あなたの心にいつもイエスさまがそっと入ってきてくださっていて、「平和があるように」と言ってくださっていることを思い出して、安心で満たされてほしいと願っています。