キリスト教に立つ教育
校長の小さなつぶやき(24)
「キリスト教に立つ教育」(10/11 4、5、6年生礼拝メッセージから)
「キリスト教学校の礼拝では、どんなことが話されますか?」…「学校の礼拝の目的はキリスト教の勉強ですか?」…「キリスト教学校では信者になることを強要されますか?」…こういう質問をよく受けます。
キリスト教を基にして語られるメッセージに疑問を感じてもいいのです。ふとひっかかることがあったら、それをきっかけに命や人生、社会と自分について考えてみることができれば良いと思います。学校では教義を大上段に振りかざして説くというのではなく、素朴に、純粋な心と一緒に私たちも考えるのです。
先日(10月11日)の上学年向けの礼拝。石川雄治先生がメッセージ担当でした。ジェームズ・ハワード・コベル宣教師(1896年アメリカ生まれ)についてのお話でした。コベル先生は1920年来日し、関東学院の先生になりました。でも時代が時代です。関東学院で学生たちに平和の大切さと不戦を説いていたことは、当時の政府には目障りでした。政府への批判や戦時体制に反対する思想や言動を取り締まる特別高等警(特高)に睨まれ、結局来日18年で国外追放になります。最後は占領下フィリピンの日本軍によって処刑(1943年)されてしまいました。そのお話でした。お話の要約と児童の様子を簡単に紹介します。
マタイによる福音書5:44 「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」
関東学院は今年で創立139年。その間に戦争の時代がありました。その時代は勝つことが大事だと言われ、そう教えられていました。でも、コベル先生は、「戦争には反対です。大切なのは平和です。」と教え続けました。愛することが大事だと説いていらっしゃいました。
結局そのことで日本から追い出されてしまいました。フィリピンのパナイ島で宣教活動を始めました。第二次世界大戦が始まりました。フィリピンにも日本軍が上陸してきました。コベル先生のいたジャングルの奥地にも日本軍がやってきて、コベル先生は日本の兵士に捕えられました。そして、コベル先生がラジオを持っていたことからスパイと断定されてしまいました。処刑される前に「どうか処刑を少しだけ待ってください。」と頼んだそうです。そして最期の祈りをささげました。
ルカによる福音書23:34を唱えました。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からずにいるのです。」そして「これから私を処刑しようとするこの者をお赦しください。」と祈りました。コベル先生は日本のために祈りを捧げ、そして首をはねられました。
関東学院には様々な人が関ってきました。場所も変ってきました。名前も変ってきました。でも、校歌の歌詞の「愛と平和の道しるべ」にある、愛と平和を大切にしていることに変わりはありません。
4・5・6年生は誰一人、身じろぎせずにお話しを聞いていました。秋の朝の澄んだ空気に静まり返った礼拝堂。キリストの香りを感じる時でした。