クリスマス礼拝
2025年12月22日、クリスマス礼拝がまもられました。
5年生の演技、6年生の朗読、聖歌隊および全校児童賛美によるクリスマスページェント(降誕劇)のあと、関東学院教会牧師、本校聖書科の髙橋彰先生にメッセージをいただきました。
毎年行われるページェントはおごそかに執り行われ、イエス様の静かなご誕生に思いをはせる時となりました。
「イエスさまを見つけた」
みなさま、クリスマスおめでとうございます。
クリスマスはイエス・キリストの誕生をお祝いする日ですが、聖書の中にはイエスさまの誕生日が12月25日とは書かれていないことは、ご存じの方も多いと思います。誕生日はわからないのです。イエスさまは有名人や偉い人としてではなく無名の人、むしろ目立たず世に知られない人としてこの世に誕生されたのでした。福音書を書いたマタイやルカも、伝え聞いておらず、調べてもわからなかったのでしょうか。そして生年月日を記すことより、何か大切なことを伝えたいと考えて、クリスマスの物語を記したのでしょうか。
クリスマスを祝う日が定められたのは、イエスさまが十字架で死なれて復活されてから300年以上たってからのことです。ローマ帝国からの迫害の時代が終わったとき、世界のあちこちから教会の人びとが集まって相談をしました。それまでは、各地域でそれぞれイエスさまのお誕生日を1月や3月、またはそのほかの月にお祝いしていたのです。その時に誕生日の候補になったのが「冬至」の日でした。一年で一番太陽が出ている時間が短い日です。ローマ帝国ではその日を太陽の誕生を祝う習慣が広まっていたそうです。それをキリスト教会の人びとは、この暗闇の世界に光をもたらすために来られた「世の光」であるイエスさまの誕生を祝う日として、意味を変えて習慣化してゆきました。奇しくも今日12月22日も「冬至」の日です。
誕生日を祝うということは何の意味があるのでしょう。人は誰も自分の誕生日を覚えてはいません。自分の誕生日を知っているのは、あなたが生まれたて来た日のことを知る周りの誰かが記録してくれていたり、教え話してくれたりしたからです。覚えているよ、知っているよ、おめでとう、と誕生日を祝ってくれたからではないでしょうか。
わたしの父は12月25日が誕生日です。もうすぐ81歳になります。ところが役所の記録では1月2日と登録されています。これは当時の日本の習慣で、元日を迎えたら皆一つ歳をとるという「数え年」という数え方があったために、生まれて1週間ですぐに年齢が増えてしまうから、年明けに登録しようということになったのだそうです。その由来も親から教えられていますから、今では12月25日にお祝いをしています。誕生日の変更くらいならばまだよいです。父と同じ年頃の人たちの中には、戦争の時代だったために、自分の誕生日を知ることができない人たちがいます。自分の誕生日を覚えていて教えてくれるような人が亡くなってしまったり、引き離されてしまったりしたためです。役所の記録が焼けてなくなってしまったりもしたのです。戦争は人のいのちを奪い、生きている記録や記憶を失わせることさえあるのです。
クリスマスの物語にも住民登録があったという話が出てきます。ローマの国はそうやって、支配した人びとの数を数えました。ところがおそらくその登録をしなかっただろう人たちがいます。羊飼いたちです。街中から離れて、草地をめぐって羊たちを食べさせて養っていました。世の中から離れて数にもカウントされない人びとに、神さまは天使を遣わして、救い主イエスさまの誕生の喜びの報せを一番先に伝えさせたのです。人びとの間ではいないことにされていても、神さまはあなたのことを知っているよと言われているように思えます。
羊飼いたちは天使の報せを聞いて、急いで出かけて行き、イエスさまを見つけました。イエスさまに会ったからといって、羊飼いが何かをもらえるとか得をするというわけではありません。ただ小さな赤ちゃんが布にくるまれて寝ているのを見ただけです。何も話しません。何もできません。けれども羊飼いたちにとってイエスさまの誕生日は特別な日になりました。神さまがこの小さないのちをしるしとして、自分たちのために救い主を送ってくださった、神さまが自分たちのために特別な贈り物をしてくださったことがわかったからです。イエスさまの誕生日は、自分たちと神さまを結ぶしるしの日になりました。神さまがわたしたちの所に来てくれている。神さまはわたしたちを愛してくださっている。あなたは独りじゃないよと教えてくれている。世界でどんなに争いや暴力が働こうとも、神さまの光、愛を打ち負かすことはできない。羊飼いたちは天使が伝えた知らせを皆に話しました。闇の中に輝く光、救い主が、小さな者たちのもとに来てくださる。心をあたたかく照らし、喜びでいっぱいにしてくださり、いつも共にいてくださる。 それを聞いた人たちは驚きました。救い主の誕生日は、羊飼いを神さまと結び合わせ、他の人びととも結び合わせてくださる日になったのでした。それが最初のクリスマス(キリスト礼拝)でした。
人は、自分の誕生日を知らなくても生きてはゆけます。でも、誕生日を知って、喜んで祝いながら生きることもできます。その人の命を大切だよと確認して祝うことができます。この「知っている」ということがとても大切なのでないかなと思うのです。
神さまの愛を知らない人に対しても、神さまは変わらずに愛してくださっています。毎日守り支えてくださっています。けれども、神さまはご自分のことや神さまの愛を知ってほしいと願っています。そして喜んでほしい、希望を持ってほしいと願っています。
羊飼いたちのように、イエスさまを見つけて、心に喜びをしっかりと迎え入れたならば、毎日が変わります。世界が違って見えてきます。神さまの愛、神さまのしるしを見つける人は、その人の今日一日の中に、神さまが静かに、けれども大きな愛で共にいてくださることを見つけるでしょう。そしてこの世界に喜びも希望もあることを見つけるでしょう。
みなさんは関東学院六浦小学校に入りました。ここでイエスさまを知りました。クリスマスを共に祝いました。神さまがあなたのために、イエスさまを誕生させてくださったことを知ることが出来ますように。この学校での日々の中で、イエスさまを、神さまの大きな愛を見つけながら歩んでゆきましょう。